――暇、だ……
目の前に広がるのは清潔な白いシーツ、白い壁。ここは、明らかに一般的ではない傷を体中に負っている私をも快く受け入れた、小高い丘の上にある小さな病院の個室である。
ヴィンウェイでの一件のあと、私は相棒と共にこの暖かな南の国へ上陸した。
入国手続きを済ませ、さて、早速相棒のご家族の元へご挨拶を……と意気込んでいた私を、彼は容赦なくこの平和すぎる監獄へぶち込んだ。
それだけではなく、新調したばかりのタブレットさえも取り上げられ……はしなかったが、「使用時間は一日二時間まで」という、まるで遊んでばかりの子供に対するそれのような禁止令まで敷いて。
適切な治療が施され、漸く思考がクリアになった矢先に絶対安静を言い渡された私は、やりたい『仕事』もままならず途方に暮れていた。言いつけを守らずにいると、かのニンジャさんが見計らったかのようなタイミングでのこのこやってくるのだ。まったく、過保護すぎやしないか。監視用の機器などはない筈なのだが。
かくして、『暇を持て余した仮面の詐欺師』の出来上がりというわけである。
急を要する案件もなければ満足にやれることもない。仕方ないので、読書をしたり、世界征服の次の一手について思案したり、ボスへ思いを馳せたり(昨日、彼から電話がかかってきてとても有意義な時間を過ごした)、ぼうっと外を眺めたりして過ごしている。まァ、これもあと数日の辛抱。とはいえ、暇なものは暇だ。
ベッドを起こし、窓を開けると、暖かな南国特有の空気が潮の香りと共に流れ込み、目の前には色鮮やかな光景が広がる。
澄み切った淡く美しい遠浅の海、どこまでも広がる爽やかなブルーの空。
ゆったりと風に流されていく白いわた雲。
極北の地ではお目にかかれないような南国らしい木々の緑が風景に彩りを添えている。
今日はどこからか複数人の子供の楽しげな笑い声まで聞こえてきた。
――なんとまあ、平和なことか。
そういえば、私たちが上陸してこのかた何一つ不穏な気配すら感じていない。この国は、急いで手を付ける必要もないのだろう。広々とした自然と暖かな気候が、人々をおおらかな気持ちにさせているのかもしれない。
もし、本当に、世界征服が終わったとしたら。このような平和がどこへ行っても見られるようになるのだろうか。そうしたら、私はいったい何をすればいいのだろうか。野望が完遂されてしまったとき、私には何が残るのだろうか。こうしてぼうっと過ごすしかなくなってしまうのだろうか。一気に腑抜けてしまいそうだ。
……あァ、らしくもない。暇すぎて余計な事まで考えてしまう。下衆な人間はいつどこにでも湧くのだ、むしろ一旦手中に収めてからの方が困難な道といえるだろう。
本当の終わりなんて来やしない夢物語だというのに。
かさり。
突然、すぐ近くで音がした。少し驚いて手元を見やると、色鮮やかなマゼンタが目に飛び込んでくる。
「やあ、こんにちは。チェズレイさん」
よく聞き慣れた声に顔を上げると、いつにも増してど派手な花柄のシャツを着た相棒がベッドの側に立っていた。
「……来ていらしたんですか、モクマさん。ノックもなしに、気配を消して近づくだなんて。さすがは下衆ですねェ」
「ごめんごめん。ちょいと驚かそうと思ってさ。そしたら、窓の外を眺める美人さんの横顔があまりに綺麗で、つい暫く見とれちゃってね」
「フ……。よく回る舌だ。……ところで、何です? これは」
マゼンタの正体は、花だった。正確には、花のような色をしているのは葉のようで、その葉に包まれるようにして小ぶりの白い花がかわいらしく咲いている。
「んー、いやあね、ちょっくらその辺散歩してたんだけども、やっぱ南国ってだけあって綺麗な花が多いんだなあって。道端に沢山咲いてるのを見てたら、なんだかお前さんにも見せたくなっちまってさ。そしたらちょうど花屋があったもんで」
「それで花を?」
「うん。ま、花ってお見舞いの定番だし? お前さんいつも熱心で意外と情熱的っちゅうか、熱いとこあるから……なんだかこの花似合うかもって思って。そしたら店員さんも色々教えてくれてね。気づいたら買っちまってたってワケ。……えへへ」
モクマさんは明らかに照れていた。なかなか珍しいのでじっと顔を見つめていると、「これねえ、綺麗な色の花だと思ったら中のちっこいのが花なんだって。面白いよね」と、私の視線を花の方へ誘導する。
「名前は確か…………ぶ、……ぶー、け……? げ? あれ……?」
「……ブーゲンビリア、ですか?」
「そう! 確かそんな感じだった! お前さんはほんとに物知りだねえ」
……0点。
買った花の名前ぐらい覚えていろ。
「そういえば、以前もこうして花を贈ってきたことがありましたねェ。あの時は、まさかの野草でしたが。……あなた、こういうことをよくおやりになっていた?」
そう、あれは確かミカグラ島を出てまだ間も無い頃、ボスからお礼の代理を頼まれたというこの男が贈ってきたのだ。母が好んでいた、野の花を。
――私の視線がよく向いていたから、と言って。
「いやいや。プレゼントとかする以前に、おじさん玉砕しまくってたもんで……。花屋だって、トラックの運転手やってた時ぐらいで、客としては初めて足を踏み入れたよ。……気に障ったかい?」
この男のことだ、こういった簡単な贈り物には慣れているのだろうとばかり思っていたが、意外とそうでも無いらしい。それもそうか。希死念慮に駆られ、逃げてばかりの根無し草だったのもこの男だ。いずれ枯れて無くなるものであろうと、他人に何かを残すことはしたがらなかったのだろう。
何故か、私は少しいい気分になった。
「いいえ。あなたにしてはなかなか悪くないセンスだと思っているところです。……そこの花瓶に飾っていただけますか?」
澄み切った淡く美しい遠浅の海、どこまでも広がる爽やかなブルーの空。
ゆったりと風に流されていく白いわた雲。
南国らしい木々の緑が風景に彩りを添えていて、
窓際では鮮やかなマゼンタが、暖かな風に揺れている。
「……あら、今日もエンドウさん来られたんですか?」
話しかけてきたのは、この病院の看護師だ。朗らかな笑顔で、どんな患者とも分け隔てなく接している。好きでこの仕事をやっているのであろうことがうかがえた。
「ええ。今日は急にやってきたかと思えば、そそくさと帰ってしまいましたがね」
「ふふ……。お二人は、本当に仲が良いんですね」
「……そう、見えます?」
「はい。それはもう、羨ましくなっちゃうほどに」
今日は既にタブレットの使用時間を過ぎているが、この程度の事を調べるぐらいは許されてもいいだろう。
…………………………。
…………………まったく……。
クサいことやる男も、ロクなのがいない。
「情熱」「熱心」
「あなたは魅力に満ちている」
「あなたしか見えない」