文章B

No.30 恋の悩み知る君は

ひとりチェズレイはホテルの一部屋で考えていた。モクマは今、急遽予定に入ったニンジャジャンショー出演のため、近くのショッピングモールに出ている。敵対組織を殲滅し、この場所を己の影響下に置くにはどれが最善策か考えている筈だったのに、隣に居たモク…

No.29 おしえてやらない

じっと、見つめる。腕の中の体温はこどものようにやわく、あたたかい。手袋の下の冷たそうな指先は存外熱をもって、じわりと互いの温度がとけだして。触れた先から、交わり合う。「チェズレイ、起きてるでしょ」「えェ……いつからお気づきで?」さぁ、わかん…

No.28 残念無念、また来世。

ぱちぱちと、無音の映画館に拍手の音が響いた。スクリーンにはシンプルなスタッフロールが流れている。多くの人が関わった痕跡。ひとりひとりの人生が触れ合った痕跡。「いやあ、見事だったね。最初は落ち着かなかったけども」中央少し上。良席に腰掛けたモク…

No.27 海のなまえ

ちかちかと、視界とあたまで光が明滅している。昇って、昇り詰めて、落ちる。五十一階から飛び降りた時と同じなのかもしれないけれど、必死であまり覚えていないから、これが比喩として正しいのかはもはや知りようがない。いや、知ったからといってどうという…

No.26 夢51夜

こんな夢を見た。モクマは一人、まっすぐな太い道の上を歩いていた。辺りを見渡したが他には人工物も自然物も何も無く、うすぼやけた地平線が彼方に広がっているだけだ。雪原のような雲の中のような、ただひたすらに白い世界の中で、どこまでも続く道だけが自…

No.25 恋は曲者、恋は闇

「恋は曲者、恋は闇、ってね」「おや、初めて聞く格言ですね。曲者に闇とは、なんとも不穏な響きではありませんか。その心は?」「どっちも、恋すると理性や常識から外れた、とんでもないことをしちゃう、ってこと」「フフ……違いない」人気のないビルの屋上…

No.24 幸福の香り

海が凪いでいる。自分の寝ている電動リクライニングべッドを少し起こし、掃き出し窓から見える海を、私はぼんやりと眺めていた。ヴィンウェイでの一件を経て、モクマさんのお母様の住む島へ訪れた私たちは、お母様の挨拶を済ませた後、礁湖が眺められるコテー…

No.23 こいのえさやり

はくはくと開閉する口がモクマに向けられていた。大きく縦に開かれた薄い唇の奥、艶かしい粘膜がモクマの視線を釘付けにさせる。白い身体が不随意に跳ねる。細長いシルエットが波打つに合わせて無色透明の飛沫がモクマの頬へ飛ぶ。溺れるように喘ぐ魚はモクマ…

No.22 恋コーヒー

こいつは珍しい、と心の中だけで呟きながら、モクマは相棒の背中に向けてこっそりと視線をめぐらせた。セーフハウスにある一室、チェズレイの仕事部屋で、チェズレイはデスクに向かい、モクマの存在に気づいているのかいないのか、振り返ることなく流れるよう…

No.21 それはこいの色

――暇、だ……目の前に広がるのは清潔な白いシーツ、白い壁。ここは、明らかに一般的ではない傷を体中に負っている私をも快く受け入れた、小高い丘の上にある小さな病院の個室である。ヴィンウェイでの一件のあと、私は相棒と共にこの暖かな南の国へ上陸した…

No.20 視線

(――また、だ)読みさしの資料に向けていた意識をしばし心の中に沈める。けして表情を動かさないように、私は神経を研ぎ澄ませた。左側後方から、僅かに視線を感じる。じっとりと、肌の表層に絡みつくような視線。害意は感じられないが、よくある――たとえ…

No.19 色に出でにけりわが患いは

「どうなさいましたか」しっかり目を合わせて正面から問われ、モクマはどぎまぎと羽織の裾を払ってみたり、引き上げたりした。相手は急かすこともなく、じっと黙って待っている。うぅ。口の中で唸って、仕方なく居住まいを正した。「目がチカチカする」「チカ…