海が凪いでいる。
自分の寝ている電動リクライニングべッドを少し起こし、掃き出し窓から見える海を、私はぼんやりと眺めていた。
ヴィンウェイでの一件を経て、モクマさんのお母様の住む島へ訪れた私たちは、お母様の挨拶を済ませた後、礁湖が眺められるコテージで療養することとなった。
『守り手たらんとする人生も、幸福との出会いも、すべてこの命あってのこと。母上。――誠に、かたじけのうございます』
頭の中で昨日の事がリフレインされる。
確かに、そういったのだ。あのモクマさんが。
少しだけ吹く風にさざ波を立てながら、海面が日の光をキラキラと踊らせる。
山小屋の時さながらの雄弁さで、自分との事をそう説明したモクマさんを思い出すと知らず手に力が入る。シーツに深い皺が刻まれる。
『世に名を轟かす悪党との出会いをそんな風に言う人は、世界を探しても、きっと貴方だけだ…』
心臓がとくとくとく、と早鐘を打つ。自分の頬が熱を持つのが分かる。
今まで自分が愛を抱いたものは、いつだって遠くに行ってしまった。手の中に残るものは、呪いと執着と、ほんの少しの悲しさだけ。
今は違う。モクマさんは何処へも行かない。いつまでも隣に居てくれる。
そう信じられる自分がなんだか誇らしかった。
不意に足音が聞こえてくる。分かりやすいほど大きな音だ。
「チェズレイただいま~!…お?なんかいい匂いがするね」
モクマさんが部屋に入ってくる。ノックと同時に入ってくるのは意味がないと、何度も言っているが聞いたためしはない。
「ええ、この土地の名産と聞いたので取り寄せて試していたところです」
「なるほど~確かにこれはお値打ちもんだ」
モクマさんはそういいながら、私の首筋に鼻をつける。
「香木はあちらですが?」
「こういうのは間隔をあけて嗅ぐのがいいんでしょ?」
「それは科学の話では…」
「幸福の香りってこんな感じなんだね、俺は好きだよ」
黙真という名前をどこに置いてきたのだろう。こんなにも言葉にされると、どうしていいか少し、惑う。
「この部屋の香りがさ」
モクマさんが体を少し離して言葉を続ける。離れた分だけ寒くなった気がした。
「俺とお前の匂いになっちゃったら、どうしよっか」
どうしようも何も、それが目的だとはなんだか言い出せなくて、ただ彼の手を握った。