僕は場のカードを全て流すことを選択した。右隣に座っていたレナート先輩は形の良い瞳を二回程瞬きして、左隣に座っていたミハイル先輩は膝に置いていた手を椅子の肘掛けに戻した。先ほどまでの場には、高得点になるAのカードが二枚も並んでいたのにアテが外れてガッカリしたんだろう。
山から新しいカードを五枚引いて、僕は表向きに広げる。場に置かれたのは、高い得点になりそうもないカード達ばかりでホッとすると、自ターン終了の宣言をした。
夜勤中、定刻の警備巡回の合間に賭けカードに興じるのはニコルズファミリー、ガリ国支部ではよく行われる行為だ。僕たちがやってるのは手札に同じスートのカードを五枚揃えるゲーム。裏社会の人間同士がやる賭けゲームといえば恐ろしく聞こえるかもしれないけど、賭ける物といえば単なるお菓子だとか有給を優先的に取れる権利だとか、裏社会の組織とは思えないものばかりだ。
正直にいえば、ニコルズファミリーというのは裏社会の組織として、ちょっと、いや、恐らくは大変おかしい。組織に入って三ヶ月の僕がいうのもなんだけど、昔僕がいた組織とは違いすぎる。まず、福利厚生がある。スラムで育ち、別組織の下っ端で薬の売人をしていた僕はそもそも福利厚生が何なのか知らず、存在を知った時はそんないい生活ができる制度がこの世にあるのかとびっくりした。あと、何より拳が飛んでこない。ノルマが達成できなくてアザだらけだった僕の体は美味しい社食のお陰で前よりだいぶ頑強になった。他にも色々闇社会の存在としては不思議なところが多いが、中でも一番よく分からない人がいる。
「あの、エンドウ……様ってなんなんですか」
エンドウ・モクマ。気のいい笑みをいつも浮かべる小柄な東洋人は常にチェズレイ様の左にいる。所属も役職も分からない。ただチェズレイ様のそばにいるか、ビルの中をフラフラして、あちこちの部署に顔を出してはみんなに慕われている。
この組織に入ってから膨らみ続けてパンパンの風船になった疑問を暇つぶしにはちょうどいいかと口に出す。ただ、予想に反して二人の反応はそっけなかった。
「エンドウさんはエンドウさんでしょ」
「エンドウさんはエンドウさんだ」
太陽が昇る方角はどちらかと訊ねられたみたいに答えたレナート先輩はクラブの九を場に出して、ダイヤの九を自分の手札に入れる。次の手番のミハイル先輩を見ると僕の顔をにやにやと眺めていた。
「ははあ、そんなことを聞くってことはなにか見たんだろ、お前。いや、見せつけられたか?」
「なになに、なに見ちゃった?」
背筋が図星にビキリと伸びて、頰が引きつった。僕の反応に二人は興味津々で覗きこんでくる。先輩達からの視線の圧力に負けた僕はしぶしぶ、今日あったことを詳らかにした。
昼から出勤した僕に最初に与えられた仕事は特殊な資料室から、資料を出してくることだった。否が応でも、僕の期待は高まった。なにせ、その部屋の近くにはチェズレイ様の執務室があり、昨日からチェズレイ様がこの支部に来ている。会う、なんておこがましいことは言わないけれど少しでも近くにいけると思えば、僕の鼓動は早くなった。そして、チェズレイ様の執務室の前を通りかかって、ドアが少し開いているのを発見した時といったら、僕に驚きと喜びと不安と恐怖がめちゃくちゃに混じり合った感情が湧き上がった。心臓が止まるかと思った。どれくらい固まってしまっていたのかは分からないけど、とにかく僕は一歩下がった。近づけば止められなくなる実感があったから。そして、自分がその時望んでいたことがいけないことだってくらい知っていた。嗚呼、でも、人間ってヤツはやっちゃダメって言われる程やっちゃう生き物なんだよ!
僕はふらふらと扉に近寄るとその隙間に顔を近づけてしまった。そして、僕の目に飛びこんできたのは……ソファでエンドウ、様がチェズレイ様を膝枕している姿だった。チェズレイ様の顔はエンドウ様の体の方に向けられていて、表情は分からなかったけどゆっくり頭を撫でられてる姿は今まで見た中で一番安心してリラックスしているのがすぐに分かった。闇社会で下っ端が長く生き残るためにはそういう機微ってのを察せないといけない。だから、同時に二人がどうしようもないくらい強く結ばれているのを感じさせられた。暖かく射しこむ午後の光、穏やかに流れる時間、寝息が聞こえてきそうな程ゆっくり上下する少し丸められた背中、たおやかな髪に絡む無骨な指。なんの間違いもなく二人だけで完成された空間だった。そういう空間を作ることのできる二人だった。そこでは闇社会の完璧無欠なボス、チェズレイ・ニコルズはどうしようもなく人間味があった。その人間としてのチェズレイ様の姿にショックを受けている自分を発見して、自分がチェズレイ様に抱いていた憧れがいつの間にか信仰に変わっていたのを思い知らされた。チェズレイ様が足を組み替える音に僕は我に返ると来た道を駆け出した──……。
「きゃー!ラブ!ラブラブだー!やっぱり、愛こそが美しさの秘密!私もダーリン欲しい!」
僕が完全に話し終える前にレナート先輩は黄色い声をあげて、体を左右に振り回して暴れる。
「はー、良いなー。わりと最初からこの組織にいるけど、お二方は必要ないから、私にそういう光景絶対見せてくれないからねー。絶対、美しさの秘訣が隠れてるのに!」
変わり者が多いこの組織の中でもレナート先輩は古株だ。つまり、変わり者ってことだ。長いまつげ、ぽってりとした唇、さらさらの長い茶髪の姿は一見美女に見える。だが、生物的には男だ。チェズレイ様の美しさを解明して、自分も美しくなりたいとこの組織に入ったらしい。
「お前、全部意味わかってるよな。まあ、ここじゃ通過儀礼的イベントだけど」
「先輩も見たことあるんですか」
「うるせえわ。通過儀礼って言っただろうが」
懐かしそうな顔をしたミハイル先輩は、同じような体験をしたことがあるらしい。僕にはまだその顔はできそうもない。
「お二人がただならぬ関係だってことはよっっっくわかりました。それを知らせるためにわざと扉が開かれていたのも。最初から叶うなんて思ってなかったですけど、あれ見たら……諦めざるを得ない」
あの幸福の塊みたいな光景の中でもエンドウ様の瞳を思い返す。瞳に浮かぶどこまでも深い慈しみとそれに反するような強い執着は重かった。あんな重い感情を持ちながら、どうして狂わないでいられるのかと思うくらい。あれに比べたら、僕の抱いた感情は塵みたいなものだ。
「そう落ちこむな。先輩からのプレゼントだ」
ミハイル先輩は手札からハートのKを場に加えて、スペードの五を手札に入れた。どうやら、僕の手札の中身はバレバレらしい。ありがたく、僕はそれをいただいて、いらない手札と交換し、手札を公開した。最終的な僕の手札はハートのK、Q、J、10、9が揃っている。このゲーム、51における最高得点、名前の由来にもなっている51点に1点足りない50点が僕の得点だ。
勝負はもちろん僕のぶっちぎりの勝ちだった。その割に嬉しくないのは言うまでもない。賭けられていたジンジャーしるこパイをヤケクソ気味に頬張る僕に向かって、ミハイル先輩はニヤリと笑いながら、言い放つ。
「ついでに大勝ちへの祝いとして、さっきの質問に詳しく答えてやるよ。お二人の馴れ初めについても」
「まあ、私たちも聞きかじりなんだけどね」
そして、僕は無事モクチェズ推しとなった。