待たせているのだろうな、という思いはあった。この南国で傷はほぼ完治と言える。痛みはもうあまり気にならないが、言い換えれば意識すれば多少は痛む。つまり、ボールはこちらに投げられている。私が望むなら彼はいつでも準備万端だろう。あとは気持ちがついていけるかどうかだ。
「チェズレイ、散歩に行こうか。ずっと部屋の中じゃ気が滅入るでしょ」
「ええ、モクマさん。夕焼けが綺麗でしょうね」
濃いオレンジ色の夕焼けに染まる海岸をただ歩く。マジックアワーとはよく言ったものだ。足元に石があるとさりげなく安全な方へ誘導される。前からこうだっただろうか。
「モクマさん、甘やかし過ぎですよ。傷だって、ほぼ治っているのに」
「はは、ついね。お前さん、ケガ人なんだし」
「……もうケガ人じゃありません」
思わず立ち止まり砂に向かってつぶやいた。それを聞き逃す彼ではない。そんなことはわかっていた。一歩戻って向き合った彼が頬をなでる。
「チェズレイ。じゃあ、少し先の関係に進んでもいいってことかい?」
目をそらすと困ったように手を下ろす。困っているのはこちらも同じだというのに。
「そうしたい、と思うのですが……少し怖くて。母も私も性的な目を向けられ、時には暴力的な行為に嫌な思いをしてきました。モクマさんが怖いのではないのです。私が無意識にあなたを拒絶したらと思うと申し訳なくて……」
髪を撫でられ、真っ直ぐに見つめる瞳に戸惑う。優しくされることに慣れてきたつもりだったが、やはりまだ素直に受け入れがたい。
「拒絶しても構わない。落ち着くまで頭を撫でて待つよ」
「今までにないような罵詈雑言が飛び出しても?」
「それは新鮮だね。逆に楽しみ」
「子供のように駄々をこねて暴れても?」
「子守も得意だよ。背中をとんとんして待つから」
ね、と気軽に念を押されるが、理屈で不安が解消できるわけでもなく、足元を見つめた。
「チェズレイ。きっと大丈夫、好きな人となら。俺はずっとチェズレイが好きだよ。お前は俺を好きでいてくれるかい?」
耳をくすぐる声に小さくうなずく。そう言われてしまっては、もう逃げ道がないではないか。
「だけど傷、ほんとに無理してない?痛みが残っているなら……」
ずるいひとだ。最後の判断をどこまでも私に投げる。今更そんなことを言われて引き下がる性格ではないことを理解しているくせに。返事の代わりにそっと抱きしめた。
――お母さま、あなたの望んだ裏社会からの脱却はできませんが、愛することは受け継いでいけそうです。驚きでしょう?私は、お母さま以外のひとに愛されているのですよ。私もそのひとが愛しくてたまらない。あなたの人生に倣って愛を紡いでいきます。
夕焼けは既に闇に呑まれ始めた。長い夜になりそうだ。それとも短いのだろうか。いずれにせよ、このひとと一緒なら怖いことは何もない。
「モクマさん、月が綺麗です」
「ああ、綺麗だ。お前さんの髪の色と同じだねえ」
「あなたの位置から見えないでしょうに。適当なことを」
「お前の瞳の中に見えてるよ……なーんて」
「0点です。部屋に戻りますよ」
「了解。……いや喜んで、だな」